2018-06-17 霞ヶ浦ツーリング 予科練平和記念館、霞ヶ浦
ツーリング
6/17の天候や服装
- 天候 曇り空、午後少し日差しあり
- 気温18度~22度
- 防風だけできる上着1枚ないと肌寒い
- 昼過ぎは、Tシャツ、半メッシュジャケット+プロテクター装備で良いくらいだったけど、たまにひんやりしたけど寒くはなし
行ったところ
予科練
- 設立当初の予科練は、精鋭部隊(倍率が70倍以上)だったそうな
- 体力(運動能力)、知力ともに必要
- 数学や航空学は大学1,2年生レベル(高等教育)
- 時間割表では、毎日6時限(土曜も)
いまでいうなら防衛大学校?のような教育なのかな?。1940年頃まではかなりの英才・スパルタ教育と思われる
霞ヶ浦
れんこん畑、収穫作業?していた
重要文化財椎名家住宅
一般の家(敷地)内にあるため、金、土、日のみ見学許可
中は見られない、外側だけ。
からぶきの屋根
予科練での撮影
零戦の模型
予科練会館 建物
入り口までは撮影可、中は撮影不可
この手紙がぐっときた、別れのあいさつ 自分の家の上空を飛ぶ、その時に家族・故郷を想ったのだろうか。
僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん、良く顔を見せて下さい。
しかし、僕は何んにもカタミを残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてからカタミを見てお母さんを泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕の別れのあいさつです
乙種第18期予科練習生 神風特別攻撃隊第五神剣隊
茂木三郎さんの母へのことば
昭和20年5月4日沖縄泊地で戦死 享年19歳
母親にあてた手紙を書いた青年は、父親は既に亡くなっていたのか?はわかららない。
会館内では、何人もの青年の手紙(遺書)が本・冊子になっておりゆっくり椅子に座って読むことができます。
建物
バイクと零戦 1940年代と2010年代
れんこん畑
椎名家住宅
一般の家の敷地内にあり、金、土、日曜は見学可能